2017年12月31日

2017年を振り返る

10月後半に風邪をひいたらなかなか治らず、珍しく精神的にもローテンションな日々が続き、年末とうとう病院で検査をしました。ひょっとしたらマダニとかエキノコックスとかそんな類を危惧していたのですが、慢性胃炎と診断されました。周囲にはストレスだ過労だと言われますが、過去にはもっと激しい修羅場を経験したことを思うと、つまり加齢のせいで体力や免疫力が落ちているのだというのが自己判断です。最近はハーブによるデトックスプログラムに挑戦し、夜は仕事をしないように、映画を見たり、本を読んだり、できるだけ楽しい話題をするように心がけています。
そんな訳でブログもなかなか書けませんでしたが、最後に1年を振り返って今年の抱負を表してみようと思います。

2017年の一番大きなニュースは年をとったこと。

「当たり前でしょ、50歳にもなって何を今更」と言われるでしょうが、私は子どももいないし、いつも若者に囲まれているせいもあり、これまで自分の老いをはっきりと自覚することがありませんでした。この1年は白髪が増えたとかぜい肉がついたとか、老眼が進んだとかそんな変化が一気に進み、がっかりする場面が多々ありました。

一方で、そういう後退の現象に抗わず、仕方ないと受け止めるようにもなりました。
映画作家の想田和弘さんがおっしゃっていましたが、今の日本社会は中年危機(ミッドライフクライシス)で、華やかだった時代(高度経済成長)をいつまでも懐かしみ、未練がましくいろいろな方法(技術革新や政策)でそれを取り戻そうと悪あがきをしている。中年になれば、体力や記憶力が衰えるのは当然なのだから、それに見合った目標を持ち、むしろ若い頃にはなかった知恵や技や経験を生かしたシブい生き方を見せればいいと。それを読んだときまさにその通りと合点すると同時に、「これって私?」とはっとしました。

パーマカルチャーでは、ポストピークオイルを「優雅な下降」の時代と呼んでいますが、個人も社会も未来永劫一方的に成長することは不可能です。誰もがそれを望んで努力をするけれど、人の生命力も地球の資源も有限なのは自明です。下降や縮退をどう美しく、賢く描くかは、駆け上る時よりもずっと難しく、重要なのです。

エコビレッジの活動も長沼で開始してから今年で10年を迎えました。

こちらはまだまだ開発途上ですが、それでもがむしゃらに登ってきた時代から、今年は次のステージに移ろうとしているのだと実感する1年でした。
余市に拠点を移し、第一のマイルストーンを「人が集い学び合う場所」「地域トランジション」に置いたのが6年前です。それから、多くの人たちの参加協力を得てハード環境を整備し、地域や異分野のつながりは着実に広がってきました。こちらは一定の成果が出たと評価していいでしょう。

今、注力すべきは担い手育成です。
これまでもたくさんの理想高く、多才な若者たちがボランティアやスタッフとして活動を支え、それぞれ成長して巣立っていきました。1か月、半年、1年という単位でやって来る人びと、次に誰が現れるかわからない、でも必ず誰か現れる不思議さと魅力。関わる各々が目標と視点を持って一定の限られた時間を共有しながら、結果的に互いの成長につながる、いわゆる「ウィン×ウィン」の関係になればいいと考えていました。

常にオープンで自由な環境、短期だからこそ思い切ってできる、やりたい人がやりたいことを持ち寄ってやりたいだけやる、この自由と主体性を重んじる精神は今でも大切だと思っていますが、そろそろ「じっくり取り組む、深める、積み重ねる」という時期に入ったようです。財産を持ち、維持管理するという役割に加えて、収益事業や対外的な信頼など当初にはなかった責任も増えて、「いつでも好きなだけ」という体制では担いきれなくなってきたという事情もあります。

今年は初めて常勤通年スタッフと共に年越しをしました。

これも自分が年をとったせいかもしれませんが、若者への見方も大きく変わってきました。まるで自分の子どものように愛しく感じる、組織のためではなく彼らに人として成長して幸せになってほしいと心から望んでいます。以前は愛情がなかったわけでは決してない、初期の本当に何もない時代に私を支えてくれた若者達はどんなに若くても「同志」と信頼し、今でも大事な友人です。でも、そこに「育てる」という意識はなかったかもしれない。

思えば、若い頃から曲がったことが大嫌いで嫌いなヤツのためには眉ひとつ動かしたくない、という性格でした。つい最近まで補助金書類や人の顔色を伺うのが非常にストレスだったし「役所を辞めて私はこんなことをしたかったのか」と自己嫌悪に陥いることもたびたびでした。

ところが、最近は若いスタッフのためだと思えば同じことが全然辛いと感じなくなりました。外出して美味しいものを食べたら「食べさせてあげたいな」と思うし、感動的な話を聞いたら「聞かせてあげたかった」と思う。これってまるで親が子を思うような感覚ではないかしら。もちろん、時には厳しいことを言ったり、難しい課題を投げたりもしますが、遅まきながら自分が後輩を「育てる」という自覚ができてきたんだなと思います。

エコビレッジも30代は「自分の夢」、40代は「自分への挑戦」でした。
50歳になって「自分のため」から社会のため、次世代のためという意識にはっきりと変わったことに気づきました。

「個人の意識の変革」や「暮らしの積み重ね」は最も大切なことですが、その延長で社会は変革しない、別のメカニズムが必要だと思って余市の拠点づくりをスタートしました。
「持続可能な暮らしと地域コミュニティ」をけん引するモデルづくり、異分野交流と人材育成、そしてそれを経済的に支えるコミュニティビジネスがそれです。

正直、今年はひどい経営状態で、私は活動家にはなれても事業家には向いてないなとつくづく思いました。それでも落ち込んだりはしないし、将来を悲観したりもしていません。自分でできなくても、時間がかかっても、新たな戦略を考えればいいだけのこと。

私には仲間がいるし、ここに集う若者たちの成長や周囲の期待に手応えを感じています。大好きな若者たちがその可能性を存分に発揮できるコミュニティを創ること、それが持続可能な社会の基盤ではないでしょうか。
「早く行きたければ一人で行け。遠くに行きたければみんなで行け」です。(アフリカのことわざ)
posted by junka at 10:43| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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