2015年02月21日

これまでの歩みとこれからの道のり(法人新年度に当たって)

先日NPOの通常総会が終わりました。
2009年の活動の始まって7年目、関わる人の顔ぶれも周囲の環境も変わる中で、私自身がこれまでの歩みを振り返り、決意を新たにしました。
長文ですが、公開したいと思います。

長沼でのスタート
長沼町でエコビレッジライフ体験塾を立ち上げたのは2009年の春でした。ヨーロッパのエコビレッジ探訪の旅から帰って半年後です。自然と共生する集住ライフが地域や社会を変えて地球を守ることにつながっている。彼の地のエコビレッジに感銘を受けてこんな場所を日本にも創りたい、残りの人生をかけて実践しながら伝えたいと思いました。

しかし、お金も土地もなく、仲間もいません。まずは自分の考えていること、知っていることを他の人と共有しながら技術や知恵を身につけよう、その中で一緒にエコビレッジを作る仲間が見つかるに違いないと思って始めたのが体験塾でした。じっと考えていてもものごとは動かない、時期尚早と忠告する友人を振り切るようにスタートしました。

次のステップを探して
才能あふれる人材が加わって塾は年々充実してきました。塾の意義は大きいしニーズも確信しましたが、その活動が自然にエコビレッジ(複数の人がともに住んで働きながら、環境負荷の少ない暮らしを実現するコミュニティ)に発展するかというとそうはならない、ビレッジを作るためには並行して別の活動が必要だと思いました。

特に2011年の東北の震災と原発事故をきっかけに、その思いは急激に強まりました。今の社会にNOと感じている人は多数いても、YESと言える選択肢がない以上、この国は次のステージに進めないだろう。持続可能な暮らしと地域のモデルを今こそ見せなくちゃと決意して、真剣に土地を探し始めると同時にNPO法人を取得することにしました。しかしながら、長沼はじめ何箇所かの土地を検討したところ、どれも経済的に手が出ず、農地を手に入れるハードルは高そうでした。

余市での出発
そんなとき、NPOつながりの友人から余市の話をもちかけられました。2011年夏のことです。果樹園を営んでいるお父さんが体調を崩して次の担い手を探している、社会的意義のある活動に使ってくれるなら当面借地でもいい、収益があがるまでは資材等の経費も負担して下さるという話でした。好条件でしたが、2町あまりの果樹園をいきなり管理するのは不安だったので、最初の1年間は熟練者の指導のもとに一通りの作業を体験し、また地域の様子を見極めた上で決断したいと申し入れ、その役目を担う人材を招き入れました。彼女とともに一シーズン経験すれば全体像がつかめ展望も描けるだろうと考えたのです。

さて、一旦始めてみると果樹を無農薬で栽培し、出荷するのは想像以上に厳しく、新スタッフには過酷な労働を強いることになりました。そもそも、自給や教育のための栽培と農業という経済行為には大きなギャップがあったのです。ただ、結果的にその世界を垣間見ることでさまざまな社会課題に向き合うことになったのは大きな収穫でした。環境負荷の少ない技術や顔の見える関係づくりを目指すエコビレッジ的な活動は、分断された人びとをつなぎ、課題解決の一助になるのではないか。北海道の農業に持続可能な道筋を示すことは、一人ですべて自給することと同じかそれ以上に価値があるだろうと考えました。

スタッフの頑張りのおかげで地域とよい関係を築くことができ、2012年春には正式に農業者として認められました。この際、個人事業とした理由はNPO法人が農地を借りるとなると役場の手続きに時間がかかりそうだったことと、個人のほうが農業の支援金を得られて彼女の農業経営が安定するだろうと判断したからです。

最初のマイルストーンはどこ
一年間の試行期間に果樹園の管理と並行してエコビレッジ構想を進めながら、ひとつの転換期を迎えました。それは、「住み手のための暮らしの場づくり」という最初のマイルストーンを変えたことです。変更は私の提案で、そこに至った理由は次のとおりです。

一つ目は、プライベート要素の強い「住まい」や「暮らし」は多くの人を巻き込みにくく、ともすると閉ざされた環境になりがちだという点です。求めているのはメンバーだけの楽しいエコライフや何かあったときの安全シェルターか?いや、それではすぐに行き詰まるだろうと思いました。もちろん、暮らしのないビレッジはあり得ないし、住民の生活だけに特化したコミュニティが悪いわけではありません。

一方、社会から隔絶された環境で自給自足を目指していた黎明期のエコビレッジの多くは消滅し、現在存続しているところは積極的に地域とつながりを持ち、農村の活性に貢献しています。私は自分たちの創るエコビレッジが地域に支えられ、頼られる存在になりたい。そしてそこを拠点に育った実践者やモデルが各地に拡散して社会イノベーションにつながることが、次世代エコビレッジのミッションだと考えました。

もう一つの問題はお金でした。というのも、最初から「住む人」を募集すると、年金生活者などお金を稼がなくてもよい人しか参加できないことが想像されました。ビレッジの中にそのような層がいるのは自然ですが、魅力的なビレッジには多様な世代がいること、その中で働けて子育てができることが必須でしょう。

世界のエコビレッジを見ると、そこは暮らしの場がメインなので、賃金を払って住民を雇用している形態はないものの、コミュニティで保育園やレストランなどの小さなビジネスを経営して現金収入を得るのが一般的です。

地方の雇用は限られていますが、その土地の資源を活かしてその地域で必要とされている仕事を創り出せば地域経済にも寄与します。一人で起業は難しくても、チームをつくり都市とのつながりを活かして取り組めば、二つの課題が一度に解決できると考えたのです。

多様な人たちを巻き込んで
そこで、将来のエコビレッジに向けた最初の目標を「個人の暮らしの集合体」から「学び合いや交流の場」と「地域資源を活かした小さな仕事づくり」に定めました。そして、教育や飲食業を通してそこに通う人が働く人になったり住まう人になったりして、長期的にその一帯がエコビレッジに成長するというストーリーを描きました。

余市の土地をベースに構想に着手したのが2011年の冬。
抽象的な概念だけでは具体的な計画にはならないので、実際にどんなスペースや機能が必要で、どんな人がどんな運営をして、それにはいくらかかってそのお金をどうやって集めて回収するのか、そんなこともシュミレーションしました。そのために、途中からは建築や不動産など多様な専門家の参加を得ながら進めました。私たちの意見をもとに彼らが提出するたたき台を何回も手直し、行きつ戻りつしながらようやく工事に至るまでに約2年半、20回を超える会議を重ねました。

この間「住まい手不在ではないか」という批判もありましたが、素人のアイデアを具現化する段階に専門家の力は必須です。「住まい手のための住まい」を作るのではなく、多様な人びとの集う場所を作るのですから多様な視点も欠かせません。また、必ずしも専門家に丸投げしたわけではなく、会議は要所でオープンにし、記録も共有していました。そして、参加協力してくれた設計、施工、設備、資材、メーカーなど各分野のプロたちは、実に仕事の枠を超え、仲間の一員として関わってくれたのです。

素人が時間をかけてすべて自力で達成するプロジェクトの魅力も捨てがたい。でも、プロの技を借りることで既存にはない新しい仕組みやデザインを提案できたこと、「持続可能な住まいや地域づくり」という社会実験に多様な人が力を合わせたことは本当に大きな成果であり、全く別の価値を創出したと確信しています。

地域とともに創るエコカレッジ/エコビレッジ
学び舎ができると、遠方からの視察に加えて地域の生産者らによる会議や食事などの機会も格段に増えました。ハル農園と二人三脚で行っていたエコカレッジのプログラムも、来期は地域のグループが主体となって進めることになりました。「多様な学びの場」にふさわしい、開かれた思考の仲間たちです。カレッジの一時限目は「のぼりんファーム」で展望台制作、二時限目は「登醸造」でワイン講座…といったようにあちこちにキャンパスがあり、先生がいる、地域の資源や課題を素材にしたプログラムは限りなく広がりそうです。

受講生(都市住民)と専門家、地域住民がコラボレーションして持続可能な地域デザインに挑み、さらに地元グループが中心になって具体のアクションを起こすことで地域全体がトランジション(持続可能に移行)していく。エコカレッジはその拠点であり、結果として暮らしの場としてのエコビレッジが成立していくだろう、そんな将来像を描いています。

新しいものを生む希望の力
ゼロからイチを生むステージは、既存の成果を一つ一つ積み重ねていくプロセスではなく、ある種、化学変化のようなメカニズムによって成り立ちます。何と何をかけあわせたらバチバチっと反応して新しいものが生まれるか、まだ誰にもわかりません。このプロセスには誰でも参加できて、年齢、性別、経歴その他一切の排除はありませんが、唯一限界があるとしたら希望のある人しか関われないという点です。

私たちの世界は残念ながら差別や対立や争いに溢れていますが、それを変えていけるのは、想像力を働かせて今ないものを見ようとし、未来に希望をもって行動する人たちだけだと言い切れます。「ないものやできないこと」ばかり見ていては、新しいものは何も誕生しないでしょう。

振り返ると2009年の立ち上げ当初は、ないものだらけで本当に一人ぼっちでした。今でも綱渡りの状態は変わらないし、むしろ責任は重くストレスも拡大したかもしれませんが、当時の孤独感は消えました。私ひとりの志がひとりのものではなくなったこと、遠くからそっと応援してくれる人も含めて希望を持つ仲間が広がったことにさらなる希望を感じています。

HEPPのあり方と関わる人の関わり方
法人設立時と今では、エコビレッジ建設へのプロセスイメージは変わりました。でも「持続可能な暮らしと社会」という大きなテーマを学び広めるミッションはずっと変わりません。HEPPは会員だけを対象にした唯一のエコビレッジ建設を目指す団体ではなく、二つ目、三つ目のプロジェクトが現れればそれも(そのときの判断と可能な範囲で)支援するし、外部の活動や団体と連携した事業も行っていく中間支援団体的な性質も兼ね備えています。

活動を進めるには参加者の興味関心、価値観、立場などにもとづく、関わりの多様性を認めることが肝要です。会員の目的は日常の暮らしを楽しみたい、学んだことを事業に活かしたい、週末に通いたい、夏だけ住みたい、イベントに参加したい、生産物を買い支えることで応援したいなど本当にさまざまでしょう。

会員ではない立場(地域住民や専門家など)でプロジェクトに関わる人も重要です。さらに、参加の仕方はあくまでも主体的で時間と伴に変化するのが前提です。コアな役割を担っていた人が仕事や家族の都合で活動を離れることもありえるし、しばらくしてからサポーターとして再び参加することもあるでしょう。

この多様性と主体性、「自分のやりたいこと、できることを持ち寄って一人ではできないことを実現する」のがコミュニティ活動の基本であり、これからの時代に必要な市民運動です。個々が役割やルールに従って行動する従来の伝統組織や会社組織とは異なり、ふわふわととらえどころがなく一見弱そうですが、外界の変化にしなやかに対応できる力を持つアメーバーのような集団は、一つの目的に向かって一丸となる集団よりもむしろ強いのではないでしょうか。

大きな目的を実現するために、一時的部分的に「やりたくないこと」をやる場面もあるでしょうが、それでもみなの「やりたい」気持ちが強ければ、そしてその先にあるものに希望を持てれば乗り越えられると信じています。

団体として大切なこと
重要なのは、多様な関わりを認めながら、意思決定に参加する機会と情報が常にオープンになっていること、異論を持つ人はどんな立場にあっても発言できること、そして対立する意見や価値観があるときはその違いを受け止めながら対話によって合意点を見つける努力をすることです。

一方的に相手を否定したり、攻撃するだけでは建設的ではありません。でも、対立意見を丁寧に掘り下げて、誠意をもって「こうすればもっといいのではないか」と対話を重ねることができれば、黒か白の二者択一ではなく、青や緑という新しいベストアンサーが生まれるかもしれない。そのアンサーは別の道を歩むことかもしれないし、部分的に協働することかもしれません。対立は互いに向き合う姿勢があれば、そこで生まれたものは成果であり前進のチャンスになるはずです。

この命題は簡単ではないでしょう。もしかすると人類最大のチャレンジかもしれません。でも、私は理想に向かって希望を持ち続けます。そして、同じように希望を抱く仲間と共に歩んでいきたいと思います。
posted by junka at 22:53| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする

2015年02月11日

試練のシーズン

「春が待ち遠しいなあ…」と都会の友人。
「春が来るのが恐ろしい…」と田舎の農家。
雪解け前の複雑な心境ですね。

私にとって2月は補助金の申請書だの報告書だの、
実は一年中で一番ストレスフルなシーズンなんです。

今年は書類ワークに除雪も加わって嫌だなあと思っていましたが、
雪の裏山を歩く楽しみができました。
不思議な獣の足跡を追いかけながら
雪を背負った樹々の間から青空を見上げるのは
最高のリフレッシュです。
冬遠景.jpg

冬遠景2.jpg

出会いがあったり、別れがあったり、
憂鬱もワクワクも春ならでは。

どんなに暗い夜も必ず明ける。
ここでのひと踏ん張りが
新しいシーズンの楽しみを倍増させると
自分に言い聞かせて頑張ろうかな。



posted by junka at 17:42| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする